小橋川さんの投稿記事 (沖縄タイムス 論壇)
昨年、2012年10月3日の沖縄タイムス『論壇』に掲載されていた記事です。
写真家の小橋川共男さんがお書きになったものです。
※文章中に「工事は10月以降、さらに強引に進められるだろう」とありますが、これは2012年の10月のことです。また、最後にシンポジウムの案内がありますが、これは2012年10月に終了していますので、ご注意ください。なお、シンポジウムの日時・場所・問合せ先(電話番号・氏名)は省略しました。ご了承ください。
命あふれ感性育む自然 これ以上の破壊 許せない
泡瀬干潟を見続けて10年。埋め立て計画が無ければ関わる事も無かったかもしれない干潟と浅海域。しかし、この場が多様な生命に満ちあふれていることを体感するにつれ、生物たちが発するメッセージに、問いかけられている重さの意味を考えてしまう。かれらは言う。私たちは互いに競い合い、食う、食われる関係も当然あります。が、相手を排除したり、食い尽すようなことはしません。むしろ場を提供したり、協力し合うのが私たちのライフスタイルで共に生きることが原点です、と。
そう、確かに海草どうし隣り合ってひしめき、石は藻などに場を提供し、貝は抱きついて海草を頼り、藻場は点々と砂山をつくる場となる。そして場全体がまた他の生物を招き入れ、目立つモノ、ひっそりと隠れたモノなどなど、それぞれの生き方で存在を証明している。私は思う。この世界はなんと調和と美しさに富んでいるのかと。競い合っても一方的にならない調和。利用されても一方的とならない調和。絶妙な調和はおおらかさを呼び、ほほ笑みを招き、いとおしさを奏で、穏やかなる感性を引き出し、心を充足感で満たしてくれる。もしかしたら、自然は私たちの感性を育む最たる要因ではないのか。自然を失えば失うほど感性は廃れ、思いやる心は鈍化してゆく。いじめ問題の起因の一つもここにあるのではないかと思う。
泡瀬干潟の埋め立て工事は10月以降、さらに強引に進められるだろう。貴重な貝の調査を要請しても国や県は場がかく乱されるからやらないの答え。ならばしゅんせつ工事はかく乱ではないのか。これも自然を無視した感性の鈍化の表れだ。未来への展望のひとかけらも無い公共工事、責任の明確化もなく、赤字となっても波及効果があるとうそぶく行政と推進一辺倒の感性はまひしているとしか言いようがない。
私たちはあらためて宣言する。もうこれ以上の自然環境の破壊は断じて許すことはできない。オスプレイ配備は自然をも破壊する。辺野古への新基地建設も高江のヘリパッド建設もしかりだ。未来へ伝える豊かな沖縄の自然環境を考えるシンポジウム「STOP泡瀬、辺野古、高江、大嶺、浦添」開催。基調講演は桜井国俊氏。主催は沖縄環境ネットワークほか7団体。 ※一部省略しています※
(泡瀬干潟を守る連絡会共同代表・写真家、69歳)
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